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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)7499号 判決

原告 松井宣道

右訴訟代理人弁護士 高村正彦

同 堀川文孝

被告 山田田鶴子

右訴訟代理人弁護士 龍岡稔

主文

一  被告は、原告に対し、金五一万一、七四一円を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決第一及び第三項は仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  原告

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を明渡し、かつ、金五九万四、九〇〇円及び昭和五三年七月二六日から同年八月一八日まで一か月金一九万八、三〇〇円の、同月一九日から右明渡ずみまで一か月金二四万円の各割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  請求原因

1  原告は、別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件ビル」という。)を所有しているものであるが、昭和五〇年六月一六日、被告に対し、本件ビルのうち別紙物件目録(二)記載の建物部分(以下「本件貸室」という。)を次の約定で賃貸し、引渡した。

(一) 期間は昭和五〇年六月一六日から昭和五三年六月一五日まで。

(二) 賃料は一か月一九万八、三〇〇円、前月二五日限り支払う。

(三) 被告は本件貸室を「麻雀クラブ」にのみ使用し、原告の書面による承諾のない限り、宿泊その他約定以外の目的に使用することはできない。

(四) 次の場合原告は催告を要せずして本件賃貸借契約を解除することができる。

(1) 被告が賃料その他の支払を二回分以上延滞したとき。

(2) 被告が(三)の約定に違背したとき。

2  右賃貸借契約の締結に当り、被告は、原告に対し、要旨次のとおり記載した誓約書を差入れた。

(一) 営業時間は営業許可法令の規制時間を厳守する。

(二) 近隣の人々と絶対にいざこざを起さない。

(三) 営業中客及び従業員が三階以上に立入らぬよう看守する。

(四) 営業中客及び従業員が二階専用手洗所以外の手洗所を使用しないよう看守する。

(五) 三階以上の賃借人及び会社員全員退社後は二階から三階への階段に「三階以上立入禁止」の柵を立てる。

(六) 退店の際は本件ビル入口シャッターの鍵をかける。

(七) 二階手洗所及び踊場から入口まで毎日営業開始前に掃除をする。

(八) 防火責任者を必ず選任して消防署に届出をし、右防火責任者は衛生及び防火に注意し、タバコの吸がら等を窓から投捨てることのないよう看守する。

3  ところが、被告は本件貸室賃借当初から右誓約書(二)項以外の全項目に違反している。即ち

(一) 営業時間の規制(風俗営業取締法第三条、東京都条例により原則として午後一一時まで)を守らず、週末は徹夜マージャンをすることも多くなり、本件ビル入口のシャッターも閉めないばかりか、客に鍵を預けて帰宅することも何回かあった。

(二) 「三階以上立入禁止」の柵も現在に至るまで作らないため、客は三階以上に立入り、手洗所も使用している。

(三) 防火の注意も懈怠しており、昭和五三年六月本件ビル一階にレストラン開業の際、渋谷消防署が立入検査をし、防火管理者未選任、消防計画未作成、店舗への用途変更届未提出、防災未処理、喫煙管理不適などにつき注意を受けた。

(四) 掃除もしないことが多く、注意したときだけする。

4  そこで、原告の本件ビル管理人は数十回にわたり注意をし、昭和五一年二月二一日には誓約条項遵守のため念書を差入れさせたが、反省がみられないので、更に遵守事項を確認し、今後右条項に違反した場合には直ちに本件賃貸借契約を解除されても異議ない旨の誓約書を差入れさせたが、その後も、被告は徹夜営業をすることが多く、誓約条項に違反する行為を継続した。例えば、昭和五三年五月二八日午前六時に原告が本件ビル入口のシャッターを開けようとしたところ、不審者二名が妨害するので警察官を呼んで調査すると、客が泊ったとのことで、被告も本件貸室に寝ていたことがある。

5  被告は、昭和五三年六月以降八月分までの賃料を支払わない。

6  原告は、被告に対し、昭和五三年八月一八日に送達された本件訴状をもって、次の(一)ないし(四)の事由を理由に契約解除の意思表示をしたから、本件貸室賃貸借はこれにより終了した。

(一) 被告の賃料不払が第1項の契約条項(四)の(1)に該当すること。

(二) 被告が第1項の契約条項(三)に違背し、無断で本件貸室を宿泊、酒類及び食物の販売に供していること。

(三) 被告が誓約書記載の誓約条項に違背する行為をしていること。

(四) 右(一)ないし(三)の事由がそれぞれ単独では解除理由にならないとすれば、これを総合することにより、原被告間の本件貸室賃貸借における信頼関係が破壊されていること。

7  よって、原告は、被告に対し、本件貸室の明渡を求めるとともに、三か月分の延滞賃料合計五九万四、九〇〇円並びに昭和五三年七月二六日から契約解除の日である昭和五三年八月一八日まで一か月一九万八、三〇〇円の割合による賃料及び同月一九日から本件貸室明渡ずみまで一か月二四万円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  第1、2項の事実は認める。

2(一)  第3項(一)のうち規制時間後も客が退店しなかったことが時々あったことは認めるが、それも一〇卓中一卓の客がたまに退店しなかったという程度であり、また、シャッターの鍵を一度閉め忘れたことがあることは認めるが、鍵を預けて帰宅したことはない。その余の事実は否認する。

(二) 同項(二)の事実は否認する。原告主張の柵は原告が作るべきところ、これを作成しない。また、被告が本件貸室を賃借して間もなく、原告は本件ビルの各室に電子ロックを取付けたから、右柵の件は沙汰止みとなった。

(三) 同項(三)、(四)の事実は否認する。

4  第4項の事実中念書を差入れたこと、原告主張の日時頃客二名がいたことは認めるが、その余の事実は否認する。

5  第5項の事実は認める。

6  第6項の主張は争う。尤も、被告が本件貸室で酒類等を客に提供していることは認めるが、これは、マージャン屋としての通常のサービスとして原告も黙認していたことであり、取締当局も不問に付する程度のことである。

7  第7項中損害金の額は争う。

三  抗弁

本件賃料については取立債務とする旨の暗黙の合意が成立しており、従来本件ビル管理人が本件貸室に取立に来ていたが、昭和五三年五月末日払いの同年六月分賃料の取立には来なかった。その後、同年六月一五日に管理人が取立に来たので賃料と光熱費を提供したところ、賃料の受領を拒絶した。従って、被告にはその賃料債務につき履行遅滞はないから、賃料不払を理由とする解除は許されない。

四  抗弁に対する答弁

否認する。被告は、本件解除前、六月分以降の賃料は、保証金から差引いてほしい旨希望し、賃料支払の意思のないことを明確にしていた。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因第1、2項の事実は当事者間に争いがなく、原告が被告に対し昭和五三年八月一八日に送達された訴状によりその主張の如き理由で本件貸室賃貸借契約解除の意思表示をしたことは記録上明らかである。

二  そこで、右契約解除理由の有無について判断する。

1  まず、賃料不払の点についてみるに、被告が昭和五三年六月から同年八月分までの賃料を支払っていないことは当事者間に争いがなく、本件貸室賃貸借契約においては、被告が賃料支払を二回分以上延滞したとき、原告は無催告で契約を解除できる旨の約定の存することは前述のとおりである。

しかしながら、被告本人尋問の結果によれば、原被告は、本件貸室賃貸借の期間満了が迫った昭和五三年五月契約更新のための交渉をもつこととし、原告から同月の第二水曜日が指定されたが、被告が当日発熱のため出頭できない旨電話連絡した際、些細なことから原告の子で本件ビルの管理に当っていた松井信雄(以下「信雄」という。)と被告の子が口論となり、右交渉は一旦中断されたこと、そこで、期間最終日たる同年六月一五日被告が原告方で原告と面談したところ、原告は、その子供である信雄に任せたので同人と和解するよう主張するのみであったこと、翌一六日、右信雄が被告方に来店した際、被告は、同人に対し賃料と管理費を提供したが、同人は立替払ずみであるとして管理費のみを受領し、賃料の受領は拒絶したことを認めることができ(る。)《証拠判断省略》

右事実によれば、原告は一旦提供された賃料の受領を拒み、受領遅滞に陥ったというべきであるから、原告が右賃料不払を理由に契約を解除するには、前記のとおり無催告解除の特約が存するとしても、被告に対し賃料の提供があればこれを受領する旨意思表示する等右受領遅滞を解消するに足りる措置を講ずることを要するものというべきところ、かかる措置を講じたことを認めるに足りる証拠はないから、右賃料不払を理由とする解除は許されないものというべきである。

2  次に、請求原因第1項の契約条項(三)違背の点についてみるに、《証拠省略》によれば、終電後帰りそびれた客が始発電車をまつために本件貸室に泊ったり、時折いわゆる「てつまん」と称して徹夜してマージャンをする客もあるほか、被告は来場した客に軽い酒食を提供していることを認めることができるが(被告が本件貸室で酒類等を客に提供していることは当事者間に争いがない。)、右被告本人尋問の結果によれば、右酒食の提供は客寄せの手段として業界一般に行われているもので、あくまでマージャン屋営業に付随してなされるものであり、徹夜でマージャンをするいわゆる「てつまん」も接客業の立場上客の要求を無下に断りきれずに行っていることが認められるところ、原告主張の契約条項は、被告がマージャン業を廃して専ら酒食の提供及び客の宿泊を目的とする営業をするとか、被告の営業形態が本来のマージャン屋営業よりも酒食の提供、宿泊等を主とする営業に移行することを原告の承諾なしにすることを禁止する条項と解すべきであるから、右に認定した程度のことをもって、直ちに原告主張の契約条項に抵触するものとみるのは当らないというべきである。

3  次に、原告は、誓約書の条項違反を主張するので、以下に順次その点につき検討する。

(一)  営業規制時間の点については、午後一一時の規制時間後も客が退店しないことがしばしばあることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、客が徹夜でマージャンを行うことも時折あり、昭和五三年五月末には、早朝六時頃まで被告と客の二人が本件貸室に泊ったことがあること(この頃客二人が本件貸室に居たことは当事者間に争いがない。)が認められる。

(二)  近隣とのいざこざについては原告もこれを除外し、格別の主張をしていないので取上げない。

(三)  三階以上の立入については、これに該当する事実を認めるに足りる証拠はない。

(四)  便所使用については、《証拠省略》によれば、当初は必ずしも誓約が遵守されていたわけではなかったことが認められるが、《証拠省略》によれば、被告の賃借後ほどなく昭和五〇年九月頃には、本件ビル各階に電子ロックが取付けられたため、この点につき問題を生ずる余地がなくなったことが認められる。

(五)  三階以上立入禁止の柵が作成されていないことは当事者間に争いがないが、《証拠省略》によれば、被告としては、前記電子ロックの設置により右柵を立てることは沙汰止みとなったものと理解していたことが認められる。

(六)  シャッターの戸締の点は、《証拠省略》によれば、被告は閉店後本件ビルを退出するに当り、本件ビル出入口のシャッターを閉めないことや、鍵をかけ忘れることも多く、また、鍵を預けられた客が早朝帰りがけにこれを郵便受に入れて出て行くところを原告側に現認されたことも一度あり、主としてこの戸締の点について誓約を再確認する趣旨の念書、誓約書も原告に差入れていることが認められる(被告が本件ビル出入口のシャッターを閉めないことがあること、念書を差入れたことがあることは当事者間に争いがない。)。

(七)  本件ビル二階踊場等の掃除は、被告本人尋問の結果によれば、時折は被告方でしているが、毎日のことではないことが認められる。

(八)  防火管理の点については、《証拠省略》によれば、昭和五三年六月二九日、渋谷消防署係員が本件貸室の立入検査をした結果、出入口付近誘導灯の未設置、防火管理者未選任、選任届未提出、用途変更届未提出、防災未処理、喫煙管理不適(灰皿、床面落下のタバコの吸がら放置)等につき改善するよう通知されていることが認められるが、《証拠省略》によれば、被告は渋谷消防署において受講後、昭和五一年二月一七日付で防火管理者証の交付を受けていることが認められる。

以上認定したところによれば、誓約事項(二)、(三)については問題とする余地はない。(四)については、当初違反があったとはいうものの、その後電子ロックを取付けたことにより違反は無くなっている。(五)についても、そのねらいは右(四)と同様であったというべきであるから、右電子ロックの取付により実際上の必要性は解消されたものというべく、形式上の違反を捉えて問題とするには及ばない。(七)の点は、一応誓約条項違反というべきであるが、《証拠省略》によれば、原告の徴収する月額二万七、九〇〇円の管理維持費中には本件ビル共用部分の清掃費も含まれていることが認められ、被告の営業が客の来場を目的とするものであるから、人の出入の多いことは否めないが、《証拠省略》によれば、本件ビルは地上五階建であるがエレベーターの設置はなく、本件ビル三階には不動産業者の事務所もあることが認められるからエレベーターのない本件ビルにおいて、本件貸室に接する二階階段及び踊場の汚れを被告のみの責に帰するのも酷な面があり、この点も形式的には誓約条項に違背することは否定し得ないにしても、解除理由の一として取上げるのは適当でないというべきである。(八)の防火管理の点は、被告が防火管理者証の交付を受けていることは前記認定のとおりであり、その余の点もタバコの灰の始末にやや問題があるほかは本件貸室賃貸借の継続に影響を及ぼすほどのものではない。

してみると、明らかに誓約条項に違背しているとみられるのは、(一)の営業時間の規制を厳守しないことと(六)のシャッター戸締の不十分の二点に尽きるといえる。しかしながら、《証拠省略》によれば、(一)の点は接客業としての立場上余り客に強いことをいえないとの事情があることや、右規制時間が必ずしも厳守されていないのが業界一般の例であることが窺われることからすると、一概に被告のみを責められないところがあり、(六)の点も、幸いこれにより貸主原告やその他の賃借人らに実害を及ぼしたことはないことを考慮すれば、右各誓約条項違背をもって、直ちに本件貸室賃貸借の解除理由となすことには躊躇せざるを得ないものがある。

従って、誓約条項違背を理由とする契約解除の主張も理由がないものというべきである。

4  原告は、以上1ないし3で検討したことが個々的には契約の解除理由にならないとしても、これらの事由を総合すれば、それは本件貸室賃貸借の継続を困難とする信頼関係の破壊に当ると主張するが、たやすくこれを肯認することはできない。即ち、《証拠省略》によれば、本件ビルは一階だけが店舗用で、二階以上はいずれも事務室用に作られたものであり、原告は本件貸室を貸事務所として賃貸することを予定していたため、マージャン屋営業用の店舗として賃借したい旨の被告の申込は一旦これを拒絶したが、その後被告側の懇請に屈したかたちで本件貸室を賃貸するに至ったものであることが認められ、かかる事情もあってか、《証拠省略》によれば、原告方においては、他の賃借人に比し被告の行為に対しては、些事をも見逃さず、やや過敏とも思われる反応を示しているふしが窺われるが、一般の事務室とマージャン屋営業用の店舗ではその使用方法に自ら差異の生ずることは避けられないところであり、不承不承とはいえ、本件貸室を一旦マージャン屋営業用店舗として使用することを許諾した以上は、事務室として利用する場合と全く同様の使用方法を期待し、その間に多少とも差異ある毎に、これを取立てて問題とするのは当を得ないものといわざるを得ない。かかる観点からみるとき、営業規制時間を厳守しないこと、戸締についての注意が弛緩していること等、被告の従来の使用方法には、接客業としての特殊性を考慮してもなおかなり反省を要すべき点の存することは上述したとおりであるが、以上判示の諸点を総合判断しても、未だ本件貸室賃貸借の解除を是認し得るほどの信頼関係の破壊があるものとは認め難いものといわざるを得ない。それゆえ、右信頼関係の破壊を理由とする契約解除の主張もまた理由がないものというほかはない。

従って、本件貸室賃貸借の解除による終了を前提とする原告の請求はすべて理由がなく、棄却を免れない。

三  ところで、原告は、本訴において、昭和五三年六月一日以降同年八月一八日までの一か月一九万八、三〇〇円の割合による賃料の支払を求めているところ、この請求が理由のあることは叙上認定したところから明らかであるから、被告は原告に対し右賃料合計五一万一、七四一円(円未満切捨)を支払うべきものである。

四  よって、原告の本訴請求は、右賃料五一万一、七四一円の支払を求める限度において理由があるから、これを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 落合威)

〈以下省略〉

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